公演アンケートのご質問にお答えします

中野です。
前回公演が終わって、早一ヶ月となりますが、公演アンケートでいただいたご質問に、劇団だるいからお答えいたします!

なお、作品の解釈に関わるようなご質問は、劇団から「解答」という形でお示しするのはどうかなあと思ったので、一部、お答えを控えさせていただきました。いろんな解釈をお楽しみいただけたらと思います。

一か月も経過しての回答となり、申し訳ありません。
では、いきましょう!

回答ここから
■質問1
劇団だるいといえば衣装・小道具がたくさん出てくるイメージですが、小道具セット・着替えなんかが楽屋でどう行われているのかが気になります。

<中野・大島回答>
かなり複雑です。
楽屋では、モノが飛び交っています。着替えも、誰かがギリギリのタイミングのときは着替えをお互いに手伝ったりしています。
演目間の楽屋は、ひとことで言って「あわただしい」感じですが、誰が何をどのタイミングでセットし、受け渡すかというのはとても複雑なロジックを組んでいます。場転は僕たちの公演の見所(?)

■質問2
「好きです」について。男性はみんな「好きです」と告白するとき、裏でああいうことを思っているんしょうか?

<中野回答>
違うと思います。
しかし、少なくとも作者はそのような心情が理解できるからこそ、この芝居を書いたのだと思っています。
俺だけだったらどうしようと思っています。

■質問3
「雪山」で、中野がハケ口に出ていくときに、他の役者に片手をつかまれて、舞台上に片手だけが残っている状態で、服が脱げていましたが、どうやっているんですか?

<出演者全員回答>
佐溝:スティッキーフィンガーズが楽屋にいて、中野の腕を切って脱いでから繋ぎ直していました。
大島:つくづく、荒木飛呂彦先生の力は偉大だと痛感しましたね。
大河内:ですね。
中野:(手品の種は秘密ということで…)


■質問4
「雪山」で、大島が脱いでうつぶせになっているシーンでは、下はどうなっていたのか。

<大島回答>
公衆わいせつ罪の逮捕者が出ないような対策が講じられています!


■質問5
直江兼続のコント」「ちはやふる」「雪山」など、佐溝作品では、なんで脱ぐ作品が多いの?

<佐溝回答>
衣服の歴史は即ち自己の本性を他者に開示することを怖れるいわば被覆〈ペルソナ〉の歴史である。1980年代以降、例えばバブル期に見られる衣服類を見ればそれは明らかであろう。
特に、2000年代に入りソーシャルネットワークが爆発的に発展にするのに伴って、社会に対して自己を開示する機会、そして必要性は増大している。また、社会から個人への回帰、多様性の肯定、タブーの非タブー化なども急速に進行する中で、個人はありのままの自分を社会に対し開示することが良しとされるようになってきており、衣服は当初の自己防衛という働きを一見失っているようにも見える。
しかし、実際のところ衣服の役割はなくなるどころかむしろ多層化しているのである。
ありのままの自己を開示することを強迫的に求められるようになった結果、個人は"個性豊かな"「自らをさらけ出した」衣服を纏うこととなり、真の自己はその衣服の内側、より深層に隠れてしまうことになったのである。
その中で、今回の「雪山」を含む「脱ぐ」三部作では、そういった自己を当初は「覆う」ものとしての衣服、そして現在では「ありのままの自己を"演出"する」ものとしての衣服を徐々に作品を通じて剥ぎ取っていくことによって真の自己開示とは何かということについてアプローチしていきたいと考えているのである。

回答ここまで

いかがでしたでしょうか。

ご質問いただきましたお客様、誠にありがとうございました。また、ご回答が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。