おふろについて

種田山頭火の自由律俳句が一時稽古場で流行りまして
山頭火は温泉が好きだね、ということを話していたのですが(あと外で食べるお弁当)
温泉、というより公衆浴場というのは面白いものだなぁと、最近思います。

普段は隠している体を、風呂場では臆面もなくさらけ出す。
これだけの裸をみることなんて滅多にないから、立ち並ぶ裸が面白い。

これだけ並んでいても、一つとして同じものがない。
どこもかしこも違っていて、なぜ人は服をきて、あんなに個性溢れるものを隠してしまうんだろうと疑問に思ほどです。

浴槽にはいりながら、髪も後ろにまとめて、つるっとした顔と体が並んでいるのをみると
なんだかみんな親しみ深いような、その人の生き様をまるごと愛せてしまうような気がします。

それが脱衣所で服をきてしまうと、なにか社会的なものや、用心や、苛立ちを纏ってしまって、途端に親しみやすさは無くなります。不思議。

風呂場の反響する独特の騒音や、不衛生さなど、あまり心地よくないことも多いけれど、そういうことがあると、ひっくるめてそれが風呂の良さのような気がしてくる。

そうして、たまに入る公衆浴場のおもしろさを考えながら、
死というものが、ある特定の職業を除き、馴染みのないものになっているのと同様に
裸というのも、隔離されたものになっているなぁなどと考えていました。

などなど、裸のことばかり語っていると裸族のように思われそうですが、決してそんなことはありません。
あと風呂に関する劇をしそうだけど、たぶんやらないと思います。

劇団だるいの演劇に出演するのは、今回で3回目。
今年で社会人になり、ようやく社会人劇団の醍醐味を味わえる資格を得たかなぁと思っています。
とりあえず平日はなにもできない。連休が嬉しい。

楽しく、そして何か新しいものを見つけられるように稽古し、皆様に味わい深いものを見せられたらなと思います。

山川